1952-03-07 第13回国会 参議院 文部委員会 第14号
頂いたからこれは読まなければ義理が惡いと思いまして、露伴先生のものを読んだのでありますが、まあ私が燒出されてから集めた字引じや引いても内容が理解できないほどむずかしいのです。
頂いたからこれは読まなければ義理が惡いと思いまして、露伴先生のものを読んだのでありますが、まあ私が燒出されてから集めた字引じや引いても内容が理解できないほどむずかしいのです。
先般総理大臣は幸田露伴先生の部屋を親しく訪ねられて、あの偉大なる文化建設者の労にお報いになられたあの事実は、私、國会議員として、また國民の一人として、ほんとうにうるわしく首相の人情ある一面と考えたのでありまするが、速やかに悠久の眞理を公表するような榮典制度を設けて、政治、文化、教育、勤労、産業各方面における功労者を報いるというところに、そして平和な國家の潤いのある一面を、何物かによつて求め得るようにしていただきたいものだと
これはそういうギリシヤの例もありますことですし、又そういう文士が勳章を貰つて何になる、文士は立派な藝術を作ればそれが最大の榮譽であるのであつて、これは幸田露伴先生が文化勳章を受けられたときにも、屈原の例などを引かれて、古來文學は政治權力によつて表彰されて榮えた例がない。
親孝行する者は親孝行者として賞せられるから親孝行しておるものではない、むしろ親孝行の方が先だ、それは社會が尊敬するという意味であつて、本人を表彰するという意味ではない、我々が尊敬しますということが勲章の趣旨であります、私はその意味において、決して幸田露伴先生はそういう意味で排斥されておるのじやないと思います。自分は勲章に釣られておるのではない、これは當然の話である。
先般國會の決議として、幸田露伴先生の追悼決議がされましたが、これは、私、あのとき感無量、實に押さえがたい喜びを感じたものであります。少くとも今後は、私たちは文藝に演劇に科學にあらゆる點においてこうした功勞者を國家の最高功勞者として報いる。現に文化勲章そのほかの何らかの名稱をもつて、ここに國家の功勞者として報いる途を開くべきである。
○松本淳造君 藝術院会員幸田露伴先生は、先月三十日午前九時十五分、市川市の自邸において逝去せられました。本日は同地において午後二時から告別式が挙行されるやに聞いておるのでございますが、私は、ここに議長の御発議によりまして、衆議院が弔詞を呈することに対しまして、満腔の賛意を表する次第であります。
尚續いて文化委員會の方からのお申出でがございまして、日本の文藝界の耆宿であるところの幸田露伴先生が亡くなりましたので、こういう方に對しても議院として弔詞を贈つたらどうかという御意見が出ております。これも併せて申上げますが、先ず第一は議員に對する弔詞のことをお決め願いまして、それに準じて取扱うという形で、第二段のことはお計らいを願いたいと思います。
(「贊成」「異議なし」と呼ぶ者あり)今度は幸田露伴先生の問題でございますが、文化委員長の方から、幸田露伴さんがお亡くなりになりまして、これに對して參議院としてやはりなにか哀悼の意を表したい、こういうお話しがございました。これは衆議院の例をみましても、やはり國家の元勲とか、その他に對して、議員であられない方に對しても弔詞を呈していることは例がございます。
○天田勝正君 議員外の人に弔詞を呈するというのは、なんとしても特殊のことなんで、そういう場合には、特に幸田露伴先生のような場合にはお弟子さんが澤山おられるはずなんで、本院にそうしたお弟子さんでもおられれば、そういう人にやつて頂くというのが最も妥當と思うのですが、すぐここで分りませんか。